カテゴリ:東日本大震災( 55 )


2017年 03月 11日

『3.11』

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6年目。
朝から写真を撮りに沿岸部に行きたかったが、
仕事と息子の野球があったため、グラウンド近くの海の見える神社へ参拝し、
2:46はグランウドから黙祷をささげた。
今年も、あの日のように小雪のチラつく寒い一日だった。


それぞれの生活の中で、それぞれの想いを胸に迎える3.11。









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by Sleggar1121 | 2017-03-11 23:59 | 東日本大震災 | Comments(0)
2016年 12月 31日

『陸前高田市』


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2016年最後の日
記憶と記録




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by Sleggar1121 | 2016-12-31 23:26 | 東日本大震災 | Comments(0)
2016年 03月 11日

『5度目の3.11』

3.11

こんなに人々が悲しんだ年があっただろうか。
こんなに平穏な日々を望んだ年があっただろうか。
こんなに誰かの幸せを祈った年があっただろうか。
こんなに人のぬくもりをあたたかく感じた年があっただろうか。
こんなに人間の無力さを感じ、
こんなに人間の強さを感じた年があっただろうか。
それぞれの3.11。



震災から1年を迎えた日のブログ。
皆が知らない誰かの幸せを祈り、
隣の知らない誰かの手をとり、
考えられないような絶望の淵からでも、人間は力を合わせて立ち上がれるんだと感じた年だった。

あの時皆が感じた想いは、実は結構人間の中に眠っている本質的なものだったりするのではいか、
人間の持っているものを全部捨て去ったら最後に残るのは誰かを思う気持ちなんじゃないかと思う。

ニュースでは毎日耳を疑いたくなるような事件が報じられ、ギス
ギスした世知辛い世の中だけど、皆があの日の気持ちを忘れ
ずに持っていたら、多分世界はそんなに悪いもんじゃない。
人間は無駄なものをたくさん手に入れすぎたのかもしれない。

そんなことを思った3.11の夜。
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by Sleggar1121 | 2016-03-11 23:38 | 東日本大震災 | Comments(0)
2016年 01月 12日

『陸前高田市』

年末年始からの陸前高田市での写真
(一部大船渡市の写真)


震災前は故郷の風景にカメラを向けることはほとんどなかった。
いつも当たり前にあるものだったから。

無くなって改めて自分の故郷に目を向けてみると、昔は見えなかったものがたくさん見えてくる。

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by Sleggar1121 | 2016-01-12 00:38 | 東日本大震災 | Comments(0)
2015年 11月 15日

『RE:START』

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忌まわしいあの日から1710日にあたるこの日、家族が仮設住宅から災害公営住宅へと引っ越しをした。
新居はお世辞にも広いとは言えないが、少しでも家族の気持ちが晴れてくれればいいと思う。
ここからが新しいスタート。
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by Sleggar1121 | 2015-11-15 23:07 | 東日本大震災 | Comments(0)
2015年 03月 11日

『2015.3.11』

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あの忌まわしい1日から丸4年。

あの日のように雪のちらつく寒い朝だった。
そういういえば、去年の今日も雪だったっけ。
フェイスブックでみつけた『あの日のことを思い出すように雪なのかも知れない。』という言葉に妙に納得した。

ここ数日、テレビからは震災の特別番組が流れ、被災地の現状を映し出す。
被災地に暮らす人たちは、昔自分たちが暮らした家の前に立ち、笑顔で復興への思いを口にする。
表情や発せられる言葉は前を見て生きようをいう力強い言葉だが、目からは大粒の涙をぼろぼろと流す。
自分の意志の及ばないこころのずっとずっと奥には、まだどす黒い“あの日”の記憶がこびりついているのだ。

自分は直接被災したわけでもないし、住む家がなくなったわけでもない。
生活は震災前のそれにもどり、何不自由することもない。
4年が過ぎ、自分のなかではすべてを受け止め、消化したつもりでいる。
だけど、ふとあの日のことを思い出したり、テレビから流れるあの日の映像をみると、鼻の奥がツンとなり涙がこぼれる。
それは深い深い海の底に積もった真っ黒なへどろが、何かによってぶわっと巻き上げられるような感覚。
それはこころを暗く覆い、あの時の記憶がよみがえる。

街は4年の月日とともに、少しずつ復興への歩みを進めている。
しかし、未だ仮設住宅暮らしの人たちは多く、心労の絶えない日々を送っている。

うちの家族も例外ではなく、今になり身体的、精神的な部分にあの日の歪みが出てきている。

大きな事は出来ないけど、一日でも多く家族と接する時間を作りたい。





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by Sleggar1121 | 2015-03-11 23:59 | 東日本大震災 | Comments(0)
2014年 03月 11日

『3.11』

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3.11 午前3:00

あれから3年目のこの日、
寒さと何とも言えない胃の痛みで目が覚めた。

インターネットの天気予報は-2℃。
外は小雪がちらついていた。


仕事は、先日の休日出勤の振替で休みをもらった。
もちろん、〝3.11〟に合わせ休みを取ったわけだが。

身支度をすませ、バッグにカメラとパンを突っ込み家を出た。
本当は陸前高田に帰りたい気持ちもあったが、夕方所用があったため諦め閖上にむかった。

震災前から閖上や荒浜で、よく写真を撮っていた。
ここ閖上も、高田のように見渡す限り荒野のような状態。
未だ取り壊されない家屋がわずかに点々とするだけだ。

日和山に向かったが、すでに報道陣が駆け付け、そこだけは煌々と光が燈っていた。
そんな中で一緒に撮る気分にもなれず、しばらく閖上の街を徘徊した。

もう今となっては、閖上の街がどんなだったかはっきりとは思い出せない。
おぼろげな記憶をたどりながら車を走らせていると、地平線から太陽が昇ってきた。
車を止め何枚か写真を撮った。
相変わらず空からはちらちらと雪が舞っていた。


3年前の〝あの日〟も雪の降る寒い日だった。
それまでは良くも悪くも何事もなく、当たり前のように毎日が過ぎ、当たり前のようにまた明日が来るはずだった。
突然として〝それ〟は起こり、無差別に、情け容赦なく全てをのみ込んだ。
当たり前のように来るはずだった、未来をも。


私は恐怖と失意の中で迎えたあの夜を、忘れることが出来ない。
関東にいる親戚や、友人から送られてくるメールからは、信じられないような沿岸部の状況が伝えられた。
『陸前高田が海に沈んだ・・・。壊滅だぞ。』
〝壊滅〟という言葉がどういうことなのか、街が〝海に沈む〟ということがどういうことなのか理解できなかった。
ただ不安と得体のしれない恐怖感に襲われたのを今でもはっきりと憶えている。

その夜、団地からは明かりが消え、静まり返った夜の闇に、私達家族だけが取り残されたような感覚を覚えた。
余震に震える息子を抱き、その日は眠れぬ夜を過ごした。
(この夜、沿岸部では救出を待つ被災者の方達の叫びが、一晩中に聞こえていたそうだ。)



私の実家はというと、家や車は流されたものの幸い家族は間一髪で最悪の事態からは逃れることが出来た。
(一緒に暮らしていた愛犬2匹は残念なことに助けられなかったのだが。)
陸前高田の惨状を見ると、助かったことが奇跡としか思えない。
実家に帰れば必ずと言っていいほどその話になる。

3年がたった今も、両親と祖母は狭い仮設暮らし。
不憫でならないが、生まれ育った陸前高田を離れることが出来ないと父は言う。
現在は市街地再生に向けたかさ上げ工事も本格化し、やっとスタートラインに立ったというところだろうか。
一日も早く仮設を抜け出し、人間らしい生活を送らせてあげたい。


この後、14:46には沢山の人がそれぞれの〝3.11〟を迎える。
それぞれの場所で、
それぞれの想いを胸に。



被災者の方々が負った深い心の傷が、少しでも癒えることを願わずにはいられない。
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by sleggar1121 | 2014-03-11 12:05 | 東日本大震災 | Comments(0)
2013年 09月 16日

『陸前高田市』

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駅前大通り
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自宅跡地
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遠くにタピックが見える



記録

9/14~9/15
曾祖母の33回忌があり帰省した。

お盆前に一度帰省した時と状況としては何も変わらず。
札幌ナンバーから沖縄ナンバーのトラックまで、高台移転のために山から削りだした土砂を運んでいた。

市街地は削りだした土砂の仮置き場になり、いたるところに土砂の山ができ、夏の間に伸びた雑草が生い茂っている。

大きな建物はどんどん取り壊され、高田の面影を残すものは駅前大通りや、タピック、松原前に建っていたアパート、45号線の通っていた高架橋くらいしかない。


それとは逆に、陸前高田市唯一のホテルとして、ひとつのシンボルであったキャピタルホテルが今年度秋~冬のオープンを目指し着々とその準備が進められていた。
施設規模は以前と比べると縮小はしているものの、キャピタルホテルの再建は観光客の受け皿、地域の雇用創出という意味で欠かせない事業だと思う。
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先日オリンピックの東京開催が決定した。
プレゼンでの安部総理のスピーチには本当に呆れさせさせられたが、決まったからには成功してほしいと思う。
これからオリンピック開催の2020年までに、ハード面、ソフト面共に準備が進められていくと思うが、被災地の人間として心配なのは、このオリンピックが被災地にどのようなメリットをもたらすのかと言うことである。
今のところそれについて具体的な話はなにも出ていないと思うが、このオリンピックが『復興オリンピック』にならなければやる意味がない。
先にも書いたが、被災地では資材、重機、人手が不足し県内外からその辺の協力を得ながら復興を進めている。
このタイミングでオリンピックを開催するということは、少なからず被災地の作業に影響が出ることは間違いない。

現在福島原発の汚染水問題も深刻さを増している。
その収束なくしてオリンピック開催などあり得ない。
被災地から『オリンピックなんかに熱をあげる暇があるなら、原発をどうにかしろ!』という声が出る事は目に見えている。

まぁ、あり得ないだろうが、東京開催の一部の競技を東北で開催する。
または競技が終わり、その中の希望する選手および関係者を、被災地をめぐるツアーに招待し、被災地の今をその目で見てもらう。
影響力のある世界的アスリート達が母国に戻り、その事を伝えてくれれば、薄れ行く被災地への関心も再び高くなるだろう。
そして、選手たちと被災地の子供達がふれ合える機会を作れば、スポーツを通じて未来ある子供たちに勇気を与えることもできる。

日本政府にはそのような被災地の力になるようなオリンピックにしてもらいたいと切に願う。
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by Sleggar1121 | 2013-09-16 09:53 | 東日本大震災 | Comments(0)
2013年 08月 08日

『けんか七夕』

8/7、けんか七夕を見るために、高田に帰省した。
毎年8/7の開催なので、大概が平日のため仕事は休みを取った。
名取から朝6:00じ頃出発して到着9:30。
実家によって、昼の部をみに行った。
平日の昼間とあって人出はやや少なめだったが、カスミ(茨城)の方々が沢山手伝いに来ていた。

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安全を祈願して御祈祷
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気仙町内を山車が練り歩く。
瓦礫だらけの市街地と、遠くには一本松も見える。
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昼の部のけんか。
このお囃子を聞くとやっぱテンションあがるわー!
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夜の部。
山車に明かりが灯る。
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夜の部一発目のけんか。
山車に乗った人たちが、振り落とされないように必死山に車にしがみついているのがわかる。
昔は山車に屋根に乗っている竹振りが、ぶつかった衝撃で外に投げ出された事もあった。
緊迫の一瞬。
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一戦目を終え、上手、下手を交換するために移動する山車。
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沿道を埋め尽くす見物客の方々。
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そして最後のけんか。

今年も無事に、事故も無く終了。
地元の有志、県内外の方々の支援を頂きながら開催までこぎつけた。
震災前よりも山車の数は少なくなったが、それでもけんかを見れて良かった。
来年は復興が進むと開催できない可能性があるらしいが、なんとかして開催してもらいたい。
応援してます!
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by Sleggar1121 | 2013-08-08 07:44 | 東日本大震災 | Comments(0)
2013年 03月 24日

『陸前高田市』

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↑ かつてこの門の向こうには美しい松林と砂浜が続いていた。夏になれば多くの海水浴客で賑わった。
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↑ おそらくトイレだろう。完全に海の浸かっている。
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↑ この階段を登ると目の前にサッカー場があった。
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↑ この建物はなんだろうか。完全に水に浸かっている。
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↑ 右奥の白い建物が見えるところまで5M程の堤防が続いていた。今はその名残すら残っていない。
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↑ 海に浸かった高田松原第一球場。この球場で何度となく白球を追った。新しく生まれ変わり2011.4月には新生第一球場の落成記念大会も開かれることになっていたそうだ。日の目を見ることなく間もなく解体される。
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↑ この建物はなんだろうか、思い出せない。
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↑ 奥に見えるはずのキャピタルホテルはもう無い。
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↑ 取り壊しを待つアパート。4階まで水に浸かった。
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↑ 母校気仙中学校。前回来た時には瓦礫の分別が行われていたが、今は土の仮置き場になっていた。
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by Sleggar1121 | 2013-03-24 09:09 | 東日本大震災 | Comments(0)